コーヒーにまつわる歴史を世界・日本二つの視点で紐解く

日常生活に欠かせない存在となっている人も多いであろうコーヒーは、いつどのように発見され当時はどのように味わっていたのでしょうか。今回はコーヒーの発見にまつわる伝説から、人々に受け入れられるようになるまでのコーヒーの歴史を、世界・日本二つの視点から紐解きます。

1.コーヒー発見の歴史にまつわる3つの伝説

コーヒーの起源はエチオピアやアラビアとされていますが、明確に辿る資料はありません。コーヒーが登場する最も古い文献は、900年頃にアラビアの医師ラーゼスが残した医学集成とされています。当時は患者の消化や強心などに役立てられていました。コーヒーの発見にまつわる有名な伝説を3つ紹介します。

羊飼いの少年カルディの伝説(年代不詳)

実は年代も土地も不詳の伝説ですが、コーヒーの起源としてよく知られた伝説です。

舞台はエチオピア。羊飼いの少年カルディは、夜になっても眠らず騒がしいままのヤギを見て不思議に思います。観察してみると赤い実を食べており、自分も試すと元気が溢れました。カルディから話を聞いた修道僧が実を持ち帰り食べたところ、夜中の儀式で眠気と戦う僧侶たちが眠らずに修行に励めるようになったのです。そこで眠らない修道院の秘薬となりました。

東洋言語学者アントニー・ファウスト・ナイロニ著「コーヒー論:その特質と効用」(1671年)に登場するエピソードで時代も場所も不明でしたが、ヨーロッパでのコーヒー流行時に脚色されたと言われています。

聖職者シーク・オマールの伝説(13世紀)

続いての伝説は、アブドゥル・カーディル・アル=ジャジーリーの著書 「コーヒーの合理性の擁護」(1587年)に登場するエピソードが基とされる伝説です。

現在のイエメンであるモカでは伝染病が流行っており、イスラム神秘主義修道者のシーク・オマールは祈祷で大勢を救います。噂を聞いたモカの王女も自身の伝染病の治療に訪れ、オマールは見事王女の病を治癒させました。王女に恋心を抱いたオマールは求婚しますが、王様の怒りを買いオウサブの山に追放されます。食べ物を探すオマールが目にしたのは、赤い実を食べる美しい鳥。オマールは赤い実を食べるようになり、やがて煮出してスープのようにして味わい、これがコーヒーの起源とされています。罪を許され街に戻ったオマールは、コーヒーとその効能を人々に広め、モカの守護聖人と呼ばれるようになったそうです。

立法学者ゲマレディンの伝説(15世紀)

最後に紹介する伝説は、オマールの伝説と同じく「コーヒーの合理性の擁護」の内容を基にした逸話です。

アラビア半島南端の都市、アデンの立法学者ゲマレディンは、研究に明け暮れる日々のなかで体調を崩してしまいます。以前エチオピアを旅した時に現地の人々が赤い実を煮出して飲んでいたことを思い出し、その効果を確かめようと現地から取り寄せます。飲んでみると元気が出て眠気も消え去りました。そこでゲマレディンは修道士たちにこの飲み物を勧め、後に職人や商人にも広まったとされています。

2.コーヒーの世界史

コーヒーの発見にまつわる伝説を見ていると、どうやらコーヒーは体力回復や眠気覚ましとして珍重され広まったようです。世界の各地域にはいつ頃どのようにして伝播したのでしょうか。世界全体のコーヒーの歴史を3つの時期に分けて紹介します。

10世紀~13世紀 アラビアから中東へ

コーヒー豆は主に、エチオピアを原産とする歴史の古いアラビカ種と、19世紀にコンゴで発見された比較的新しいカネフォラ種があります。

アラビカ種のコーヒーは6~9世紀にかけてエチオピアからイエメンに伝わったとされ、コーヒーの実はバンと呼ばれました。先に紹介した医師のラーゼスが、乾燥した実を砕き水に浸したものをバンカムという薬として患者に与えたように、コーヒーの定義は薬だったようです。長らく、夜間も宗教儀式を執り行う修道僧が珍重し、イスラム教寺院で門外不出の秘薬としてあつかわれます。

13世紀になって次第に一般の信者にも広まり、この頃にコーヒー豆を煎って味わうようになったようです。

13世紀~16世紀 中東からヨーロッパへ

一般信者も飲むようになったコーヒーは、煎ることで香りと風味が良くなり、ますます好まれたと考えられます。1450年頃にペルシャでコーヒー豆を焙煎し、砕いて煮出して飲むようになったと伝えられ、煎り豆を使ったコーヒーは当時カーファと呼ばれました。1510年にはエジプトのカイロに伝わり、コーヒーを飲んで寛ぐコーヒーハウスのような場も誕生したようです。16世紀には現在のイスタンブールに最古のカフェとして知られるカフェ・ハネが誕生しています。

イスラム教寺院で重宝されイスラム圏を中心に広まったコーヒーですが、コーヒーの飲用には反対意見もあり、時にはコーヒー店が襲撃されるなど弾圧の動きもあったようです。

一方、その頃のヨーロッパでは、コーヒーは異教徒の飲み物と見なされていました。

16世紀~現代 ヨーロッパから世界各地へ

インドに渡りインドコーヒー、トルコに渡りトルココーヒーなど進化を続けるコーヒーは、やがてヨーロッパへ渡ります。トルココーヒーがベネチアへ伝わったのが最初とされています。

当時のローマでは異教徒の飲み物として見なされ、悪魔の飲み物とさえ呼ばれていました。しかし、時の法王クレメンス8世がこれほど美味しいのに異教徒に独占させておくのは惜しいと考え、なんとコーヒーに洗礼を施してキリスト教の飲み物と認めたという伝説まであります。

17世紀になるとイギリスでのコーヒーハウス誕生や、フランスでのカフェオレという新しい飲み方が誕生するなど、ヨーロッパ全土に定着していきました。

飲み物としてではなく栽培としてのコーヒーは、1699年に東インド会社によってイエメンからスリランカ、インドのマイソール、ジャワ島へ運ばれたコーヒーの苗木が定着します。その種子から育った1本の木がアムステルダムの植物園に送られ栽培、さらにその種子から育った苗が1714年にフランスのルイ14世に送られ、後に中南米のコーヒー栽培の元となりました。これがいわゆるnoble tree(ノーブル・ツリー)、中南米に一大コーヒー生産地を作り上げた貴重な木です。

3.コーヒーの日本史

コーヒーがヨーロッパへ伝わる頃、日本は戦国時代から江戸時代へ移ろうという激動の時代でした。日本国内でコーヒーが普及した経緯を紹介します。

江戸時代から明治初期

日本にコーヒーが伝わったのは江戸時代と考えられています。江戸時代は鎖国をしており異国の文化に触れる機会がほとんどなかった日本ですが、唯一国外に開かれた港であった長崎県の出島に、コーヒーが伝わってきました。

ただ、当時の日本人の口には合わなかったようであまり受け入れられなかったとされています。また、外国人と会うことができたのは通訳や商人、遊女などごく限られていたことも文化として定着しなかった要因と考えられます。

幕末には、蝦夷地に駐屯する幕臣のためにコーヒー豆が輸入・支給されたそうです。寒さや冷えに耐えるためだったようです。

開国を迎え時代が明治に変わると、長崎だけでなく神戸、横浜、函館など外国人居留地が拡大していきますが、コーヒーは依然として外国人と一部の上流階級の日本人がたしなむ高級な飲み物でした。

明治後期から平成、令和へ

そんなコーヒーが大衆に受け入れられ始めるのが明治後期です。日本初の喫茶店とされるのが可否茶館で、1888年に東京・上野にオープンしました。経営振るわず4年後に閉店しています。

その後しばらくして銀座に喫茶店が次々とオープン。今のようなカジュアルな雰囲気ではなく、文化人が集う社交場のような様相でした。ちょうどハイカラ文化が流行した時代です。

大正になると、文豪・森鴎外がコーヒー愛好者の会であるパンの会を指導し、カフェ文化が根付いていきました。こちらも文化人の集いではありましたが、コーヒーを安い値段で提供する店も増え始め、次第に大衆に浸透していきます。

昭和に入るとサロン風の喫茶店が大流行し、繁華街から学生街まで幅広い場所・人に愛されるようになりました。

第二次世界大戦のために一時コーヒー輸入が中止されますが、戦後に個人経営の喫茶店が多数開店し、一気に大衆の文化として定着しました。現代に至るまで、音楽喫茶や漫画喫茶などさまざまな形態が登場し、コーヒーもシアトルコーヒーの流入からサードウェーブ、家庭用コーヒーメーカーの登場などでさまざまな楽しみ方が普及しています。ちなみにアイスコーヒーは日本発祥です。

「珈琲」の漢字にまつわる歴史

さて、世界と日本におけるコーヒーの歴史を紹介してきましたが、珈琲という漢字は誰が考えたのでしょうか。
実は当初は、かーひーという音そのままに、可否や可非という漢字が使用されていました。そんな中、珈琲は当て字です。考案者は幕末の蘭学者である宇田川榕菴(うだがわようあん)とされており、コーヒーの木に赤い実がつく様子が女性が使うかんざしに似ていたことから漢字を当てたとされています。
珈琲の珈の字は花かんざしを、琲はかんざしの玉をつなぐ紐のことを言うのだそう。日本人らしい風流な命名が隠されていたようです。

4.奥深いコーヒーの世界を楽しみましょう

長い歴史を経て私たちの日常に深く浸透したコーヒー。その伝説や歴史を知ると毎日のコーヒーがさらに味わい深いものになりますね。栽培される種類や各国独自の飲み方など調べ出すと興味も尽きません。皆さんそれぞれのコーヒーの世界を楽しんでくださいね。

【おすすめ記事】

  • Twitter
  • Facebook
  • LINE

コーヒーコラムトップへ戻る

珈琲人名鑑